Balten Seijin の今日のひとこと

いくつかの霊想書の中からその日のお気に入りを載せます

2023-08-01から1ヶ月間の記事一覧

雨は必ず降る

主に雨を求めよ、後の雨の時に。主は稲光を造り、大雨を人々に、野の草をすべての人に下さる。 (ゼカリヤ10:11) 私たちは知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁のように確かに現れ、大雨のように私たちのところに来られる。地を潤す、後の雨のよ…

捨てた時自分のものになる

「それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、 自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、 わたしのために自分の命を失う者は、 それを見いだすであろう」。…

信仰は試練と共に進行し、深行する

信仰は試されなければなりません。なぜなら、それは葛藤を通してのみあなたの親密な所有物になることができるからです。今あなたの信仰に挑戦しているものは何ですか?試練はあなたの信仰が正しいことを証明するか、それとも信仰を殺すかのどちらかです。イ…

「誓うな」の意味は思っていたのと違うな!

しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。(マタイ5:34) キリストは「決して誓うな」と教えておられますが、「誓い」 と 「契約(あるいは誓約)」 を混同すると、 この教えの意味が分からなくなります。「契約」 は違反した場合、…

死の準備=生きる準備

死はしばしば突然やって来ます。交通事故、飛行機の墜落、いのちにかかわるような暄嘩、戦争、洪水等々。健康で力がみなぎっている時には、自分の死について考えることはあまりありません。それにもかかわらす、死は全く思いがけすにやって来ます。 どうすれ…

愛する者の死

大切な友や深く愛していた人を失った時、私たちは、長い間感情が麻痺してしまうような深い悲しみの内に置き去りにされてしまいます。私たちが愛している人々は、私たちの一部分になっています。私たちの考え、感情、振る舞いは、彼らの影響を深く受けていま…

苦しみを伴わない愛はない

誰かを愛そうと心に決めるたびに、私たちは大きな苦しみに自らをさらすことになります。なせなら、私たちが深く愛する人々は、大きな喜びばかりではなく、大きな悲しみをももたらすからです。最も大きな悲しみは、別離から生じます。子どもが家を出て行く時…

子どもなら貰えます

あなたがたのうちのだれが、自分の子がパンを求めているのに石を与えるでしょうか。マタイ7:9 私たちの主はここで祈りを、何か良いものを求める一人の良い子にたとえておられます。私たちは、あたかも私たちと神との関係がどうなっているかとは無関係に神が…

キリストは死を別物にした

キリストは…死を滅ぼし、福音によって命と不死性にいのちと不滅を明らかに示されたのです。Ⅱテモテ 1:10 キリスト教の主張の中で最も素晴らしいのは、イエス・キリストが死者の中からよみがえったということです。それは私たちの信仰心を限界まで緊張させま…

人生の節目節目は小旅行、死は最後の大旅行

死は新しいいのちへの旅です。こう一言うと非常に美しく響きますが、この旅をしたいと思う人はほとんどいません。これまでの旅の数々が、私たちの最後の旅の前置きとなっていると考えてみることは、死について考える時役に立つかもしれません。生まれる時、…

意識されない影響力

「心の貧しい人たちは幸いです。」マタイ 5:3 新約聖書は、私たちの基準からは注目に値しないと思われる事柄に注目します。 「心の貧しい人たちは幸いです。」これは文字通りの意味は、「貧乏な人々は幸いである」です。貧乏な人々は驚くほどありふれた存在…

貧しさこそ豊かさの源泉、導火線

貧しい人々は、私たちの好意にお返しができないからこそ差し出すことのできる、 一つの宝物を持っています。貧しい人々のために何かしても、貧しい人々が私たちに何かを支払うことはありません。支払わないことで、貧しい人々は私たちを、内なる自由、無私、…

欲しい物を手に入れ、必要な物を失った

ヘブル人の文化は罪という主題に関してある種の強迫観念を持っているように思われます。彼らがそれを強調するのは、別に彼らが特異な傾向性を持つ民族だからというのではなく、私たちよりもはっきりと見る目を持っているからです。彼らの視点から見ると、罪…

貧しさの中の宝探し、まず、しーさー!

金持ちになりたいと思っている人たちに囲まれながら、どうすれば貧しさを神に到る道として受け入れることができるでしようか。貧しさには多くの姿があります。「わたしの貧しさって何?」と自分に尋ねてごらんなさい。それは、お金がないことですか。感情が…

大切なのは、三どいうかではなく、Do youか Did youか?

イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、…

「いいね」ではなく「愛」ね!

神と共に静まっていると、自分がいかにいろいろなものに頼っているかということにすぐに気づきます。私たちは日常生活に多くある、気をそらせるものがなくなると、不安になって緊張してしまいます。誰も話しかけてくれなかったり、訪ねてくれなかったり、誰…

心の盲目を癒す目薬はキリストの十字架の血

それから、イエスが再び目の上に両手を当てられると、盲人は見つめているうちに、なおってきて、すべてのものがはっきりと見えだした。(マルコ八・25) ペテロはマルコの福音書八章で、イエスはキリストであると公言しました。そして向きを変え、イエスに向…

神様がくれた隠れたところ

私たちの社会では、隠れていることを避けがちです。私たちは人々に見られ、認められることを望みます。人々の役に立ち、ことの成り行きに影響を及ほしたいと願います。しかし、人目に触れ、人気を博すようになると、人々やその応答に依存するようになります…

思いは切らずに思い切ろう

私たちは神に願い事をするときに、自分で制限を加えていないでしようか。病気が重たいとき、解決が不可能と思えるような間題に直面するとき、 「一応祈るけれど、やっぱり無理だろう」 と思うことがあります。 しかし、イエス様は聖書の中で一度も「諦めなさ…

いのちは“死ぬまで”ではなく“死んでから”

まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。(ヨハネの福音書12:24) イエスは農業の比喩を展開しました。種子が穀倉の乾燥した暖かい安全な場所にある限り、…

すべてのpieceが揃うより一つのpeace

私たちは、すぐに思い煩います。思い煩うのは、自分がこうしたい、こうなったら良いと思うことがあるのに、自分のカでは自分の思い通りにいくかどうか分からないからでしょう。 そんな私たちに聖書は勧めています。「何も思い煩わないで、 あらゆる場合に、…

嵐に感謝

わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え、すべての恐れからわたしを助け出された。……この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞いて、すべての悩みから救い出された。(詩篇34:4,6) すべての恐れを取り去ってくださいと願ったことはありませんか。かつて私は…

ソファー(armchair )ではなくサファー(Cross)

しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。(ローマ人への手紙5:8) 神の愛に反する証拠がこれほどたくさんあるように見えるのに、どうして私たちは神…

歴史上に立った、たった一本の十字架

キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。それは、…あなたがたを神に導くためでした。 1 ペテロ 3:18 これは、十字架に関する新約聖書の中で最も重要な文書の 1 つです。それはキリストが…

広島と長崎の間に願うことは、キリストの火が投じられること!

人は、自分が理想とすることを実現するために存在するのが神だと考える傾向があります。戦争や自然災害、飢饉や病気、経済的な苦しみ、さらには人間関係の不和などの問題が起こらないようにすべきなのが神だと考えるのです。 そして、その実現のために神を拝…

剣は一時、真理は永久

戦に勝って勝つのではない。 真理に従いて勝つのである。 戦に負けて負けるのではない。真理にそむいて負けるのである。 真理を究(きわ)むるのは、剣(つるぎ)をみがくよりも大切である。真理は永久に勝っための武器であって、剣はわずかに一時の利を制するた…

イエスの自発性が死の強制力を無力化した

福音書記者たちは、誰もイエスが「死んだ」とい表現は使いませんでした。彼らは意図的にその言葉を避けているようです。彼らは、最後には死が彼を奪い、彼はその権威に屈しなければならなかったという印象を与えたくないのです。死は彼をその犠牲者だと主張…

神の国のエントランスは、普通、見エトランス!

結局のところ、大切なのはイエスとイエスの言葉を知っているかどうかではなく、イエスの霊の内に生きているかどうかです。イエスの霊は愛の霊です。 最後の審判について語られた時、イエスはご自身でこのことを明らかにされました。その場面で人々は尋ねます…

私の“思い”は重くない

私たちは神の目的に意識的に同意しているわけではありません。まったく意識せずに神の目的に取り込まれています。神の目標が何であるかは私たちには分かりません。続けていくと、神の目的はますます曖昧になっていきます。神の目的は的を外したように見えま…

受肉は人類を死から解放した

神がイエスにおいて人となられたことを通して、人類全体の体が神のいのちによって覆われました。これが受肉の神秘です。私たちのいのちははかなく、いずれは死ぬことが定められています。けれども、イエスを通して神が私たちの弱く死を免れない生を共にされ…