「それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、 自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、 わたしのために自分の命を失う者は、 それを見いだすであろう」。
(マタイ16:24,25)
この美麗なる造化は、われらがこれをえんがために造られしにあらずして、これを捨てんがために造られしなり。 いな、人もしこれをえんと欲せば、まずこれを捨てざるべからず (マタイ16:25)。まことにまことに、 この世は試錬の場所なり。われら意志の深底より世と世のすべてを捨てさりて後、はじめてわれらの心霊も独立し、世もわれらのものとなるなり。 死にて活(い)き、捨てて得る。 キリスト教のパ ラドクス(逆説)とはこのことをいうなり。
(一日一生 内村鑑三)