Balten Seijin の今日のひとこと

いくつかの霊想書の中からその日のお気に入りを載せます

2023-09-01から1ヶ月間の記事一覧

聖書中、最大のコントラスト

あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。(詩篇八・2/新改訳) 詩篇八篇2節は、聖書全巻の中でもとても印象に残る聖句です。無力きわまりない、徹底的に他者に依存せざるを得ない幼子や乳飲み子たちを取り上げて、その唇から力が…

伝道者パウロを生み出した麗しい勇気

すると主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』と呼ばれる通りに行き、ユダの家にいるサウロというタルソス人を訪ねなさい。彼はそこで祈っています。」使徒 9:11 サウロに起こった変化、特に関係における変化を見るのは素晴らしいことです。第一に、彼の…

神の恵みは、“突然”に見えても、“徐々に”且つ“非強制的に”

彼は地に倒れて、自分に語りかける声を聞いた。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」使徒 9:4 サウロの回心は今日のクリスチャンの回心の手本となることを意図したものでしょうか。答えは「はい」ですが、それは劇的な、外面的に付随するものと本…

異なる対象、異なる方法、同じ福音

「ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた。」使徒 8:35 この物語はよく知られているので、詳しく復習する必要はないかもしれません。サマリア訪問後、ピリポは新たな任務を受け、今度は最終的にエジプトに至る砂漠の道を南…

最悪と思われる時こそ主は共におられる

私たちは、物事が自分の思い通りに進むことを望みます。しかし、しばしば自分の意に反した苦しみの道を歩かなくてはならないことがあり、そんな時、クリスチャンは「いつか神様は最善をしてくださる」と言ったりします。 しかし、気をつけないと、 「神の最…

“自分が思い描く成功”ではなく“神の最善を”

私たちは成功しても高慢にならず、失敗しても自己卑下せず、ただ、全てを働かせて御心を行ってくださる神様の手に中に自分がいることを喜ぶことができますように。隣人と愛する者のために今できることをなし、神様の最善を待つ者となることができますように…

水とパンとぶどう酒

サクラノント (秘跡) は、神が被造物を通して私たちに触れ、私たちを生けるキリストに変えてくださる非常に具体的な出来事です。サクラメントの中心をなすのは、洗礼と聖餐の二つです。洗礼においては、この変化をもたらす手段は水であり、聖餐においてはパ…

信じる自分ではなく背負ってくださるイエス様

クリスチャンは、困難や試練の中でも心を強くして神様を見上げていれば救われると考える傾向があります。自分が救われているかどうか、自分の心の状態で判断しようとするのです。自分の心は最も意識しやすいからです。 しかし、まだ神様を知らず、意識もなか…

他人との比較から解放されるところ

キリストがどのような方であるか、その本当の姿がわかった時、自分の実質もはっきりと見えてきます。主の偉大さがわかると自分の無価値さが新たな洞察をもって見え始めるのです。私たちは神と正面から向き合うまで自分を正しく見ることができません。他の人…

出て来たものはすでに存在していたもの

バプテストの説教者ピーター・ロードがある修養会で用いた例話は、いまでも私の記憶に印象深く残っています。彼は一人の若い女性に講壇に上がるよう頼みました。彼は手に水の入ったコップを持っています。そして彼女にコップを持っている方の腕をつかんで、…

人間にとっての制約は神にとっての飛躍

自分の人生が浪費されていると感じたことはないでしょうか。何かに束縛されていると感じることはないでしょうか。もしそうなら元気を出してください。パウロも全く同じように感じたに違いありません。スペインに福音を携えて行く代わりに、彼はローマの監視…

信仰は認知症になっても消滅しない

私たちは、信仰と信心とを同一視する傾向があります。信心は、神や仏を信じる心です。人によって信心の強さは違います。信心深いことは宗教の世界では一つの徳性と見なされ、出家、献身によって深まったり、修行によって強められたりすると考えられたりしま…

髪の毛一本一本さえ神に覚えられている

ありとあらゆるものが私たちをあっちこっちへと引っ張る時、どうすれば魂を失わずにいられるのでしようか たえず引き裂こうとする力にさらされている時、どうすれば 「一つ」 のままでいられるでしょう。 イエスは言われました。「あなたがたの髪の毛の一本…

主の手に握られた5つのパンと2匹の魚

イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。(ヨハネ20:21) 良い羊飼いである方は、羊たちについてくるように命じます。キリストに従うとは、心と生涯のすべてをささげる誓約をす…

祈り得ない祈りを祈る自由

キリストは、あなたの敵を愛し、あなたを迫害する者のために祈れと言われたが、そのような愛は、私たちからは出てこない。私たちの愛は、自分の都合を基準とする愛だからである。 少し嫌なことがあるだけで人を許せなくなる私たち。そんな私たちの中にキリス…

泉は水源より高くは昇れない

逆説のごとく見えて真理中の真理なることは、人はみずからつとめて善人たるあたわざることこれなり。 罪によって孕(はら)まれ、罪の中に生長せし人が、自己(みずから)の努力にのみよって罪より脱せんとするは、泉が水源より高く昇らんとするがごとく、水夫が…

まさか慰めに来たんじゃないでしょうね!

「やみはわたしをおおい、わたしを囲む光は夜となれ」とわたしが言っても、あなたには、やみも暗くはなく、夜も昼のように輝きます。あなたには、やみも光も異なることはありません。(詩篇139:11~12) 私にはメソジスト教会の牧師夫人となった親しい友人が…

危機は日常を暴露する

「ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見ました。」(ヨハネの福音書1章48節) 私たちは、もし大きな危機が来れば、それによって自分が戦いにふさわしくされるのではないか、と思っている。しかし、危機によって私たちが強くな…

未完成の作品はまだ評価しないで!

「しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に…

名前二度コールの不思議

「マルタ、マルタ。あなたはいろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。」(ルカの福音書10:41-42) 聖書の中で名を二度呼ぶというのは、その人の本質を呼び覚ますために神様がお取りにな…

卑しめられたからこそ

「静けき河の岸辺を」(「安けさは河のごとく」)を作詞したホレイシオ・スパフォードという人がいます。彼は、突然自分と家族に降りかかった悲劇の中、役員を務めていた教会からの根拠のない断罪という辱めを受け、アメリ力を去り、伝道者ムーディの活動に参…

源泉かけ流しのいのちの川

「わたしを信じる者は…その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」ヨハネ 7:38 川は、その源がまったく知らない場所に達します。そしてイエスは、もし私たちがイエスの満ち足りたものを受け取ったなら、たとえ目に見える影響がどれほど…

恵みを呼ぶための中間物

恩恵はただちに来るものではない、 困難をとおして来るものである。困難は恩恵(めぐみ) を身に呼ぶための中間物である。燃料なくしては火がないように、困難がなくして信仰も歓喜(よろこび)もない。火に先き立つものは煙である。信仰に先き立つものは疑懼(お…

やっていても、やっていなくても同一線上

神が私たちにお求めになるものは何でしようか。それは、立派な教会堂ではありません。形式だけの礼拝でも、心のない捧げものでもありません。神は、私たちが何かを捧げなければ困るような方ではないのです。 全てのものは神が造られたもの、神のものです。 …

神は、出来事・状況を超越し、決して疲れない

わが助けは、天と地を造られた主から来る。……主はあなたを守る者。(詩篇121:2,5) 詩篇121篇には信仰者への約束のことばが三つあります。第一に、神は私たちの境遇を超越し、支配されます。「主はあなたの足の動かされるのをゆるされない」(詩篇121:3)。…

損得ではなく出会い

キリストは、弟子たちをお選びになるとき、「わたしについて来なさい」と声をおかけになりましが、ご自分に従うことに伴う損得については、ご説明にはなっていません。ただ、「ついて来なさい」「従って来なさい」と仰っています。 私たちは、人生の進路を決…

章を跨いで読むと分かる恵み

13:38わたしのために命を捨てると言うのか。よくよくあなたに言っておく。鶏が鳴く前に、あなたはわたしを三度知らないと言うであろう。14:1あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。(ヨハネ13:38~14:1) ヨハネ13章38節と…