Balten Seijin の今日のひとこと

いくつかの霊想書の中からその日のお気に入りを載せます

やっていても、やっていなくても同一線上

 神が私たちにお求めになるものは何でしようか。それは、立派な教会堂ではありません。形式だけの礼拝でも、心のない捧げものでもありません。神は、私たちが何かを捧げなければ困るような方ではないのです。
 全てのものは神が造られたもの、神のものです。
 聖書は言います。神がお求めになるもの、 それは謙遜な心、砕かれた心、神の言葉におののく者だと。
 私たちは、 クリスチャンとして行っている自分の行為を見て、「一応これで大丈夫」 と思ってしまうことがあります。礼拝にも行った。献金もした。聖書も読んだし、祈りもした。
 しかし、 このような思いは、自分はクリスチャ ンとして駄目なのではないか。礼拝に行っていない。献金もしてない。聖書も読んでいないし、 祈ってもいない、 という思いと同じ次元、同一線上にあるものです。自分の行為という物差しで自分の信仰を測っているからです。心は自分に向き、神に向いていません。

 

(366日元気が出る聖書のことば 岩本遠億)