Balten Seijin の今日のひとこと

いくつかの霊想書の中からその日のお気に入りを載せます

2023-11-01から1ヶ月間の記事一覧

体こそ霊的いのちを完全に表すもの

復活の時、私たちには霊の体が与えられます。私たちの自然の体はアダムから出たものであり、霊の体はキリストから来ます。キリストは第二のアダムで、私たちに滅びることのない新しい体を与えてくださいます。パウロが言うように、「私たちは、土で造られた…

極貧状態こそは祝福への門

神の恵みの福音は、人間の魂の中にある強烈な切望と、同様に激しい憤りを呼び覚まします。なぜなら、それが明らかにする真実は口当たりが良く、飲み込みやすいものではないからです。人々にはある種のプライドがあり、それが彼らに見返りを求めず与えること…

お身体を大切に!

様々な方法で、私たちは自分の体を使い、また虐げます。イエスは体を持つ人間として私たちのところに来られ、また体を持つ人間として神の栄光へと挙げられました。この事実は、私たちに自分の体や他の人々の体に深い敬意を払い、大切に扱うようにと呼びかけ…

手を繋いでくださる神

私は10年ほど前、年老いて一人で歩くことが困難になった父を車に乗せ、高速道路を走りました。途中のパキングで父をトイレに連れて行ったのですが、 そこで父と40数年ぶりに手を繋いで歩きました。何とも言えない違和感がありました。 子どもの時は父と手を…

世は復活に気付かなかった(クリスマスにも)

イエスの復活は隠れた出来事でした。イエスはご自分に反対する者たちをまごつかせたり、勝利宣言をしたり、ご自分を十字架につけた人々に、結局ご自分のほうが正しかったということを証明するために墓から復活されたのではありませんでした。イエスは、神の…

信仰は、未知の未来と見えない現在の事実を把握すること

「さて信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。ヘブル人への手紙 11:1 私たち人間には、大きく 2 つの不確実な領域があります。 1つ目は未知の未来、2つ目はまだ見ぬ現在です。なぜなら、私たちの安全は未来ではなく現在に…

伝道の誤解と正解

キリスト教の伝道とは、わが主張を世におよぼし、わが徳をもって人を化し、もってわが党わが弟子を作ることではない。キリスト教の伝道とは、われの罪あるを世に表白し、われの受けし恩恵(めぐみ)を人に示し、わが救い主を世に紹介し、もって彼の従者、彼の…

愛は共に弱くなること

主イエスが私たちにお命じになったことは、互いを自分自身のように愛するということでした。誰か一人でも良い。 そのように愛し合う友が与えられることは、神様が私たちに与えてくださる祝福です。 しかし、 その祝福には、 一緒にいることを喜び楽しむとい…

神を待ち望む待ち方

私たちはどのように神を待つのでしようか。根気よくです。根気よく待っといっても、受け身になって何もしないということではありません。根気よく待っとは、バスが来るのを待つことや、 雨か止むのを待つこと、日が昇るのを待つこととは違います。むしろ、私…

「分解」と「解体」

日本語には「分解」と「解体」という似た言葉がありますが、全体と部分の関係という点で両者には意味の違いがあります。機械のように着脱可能な部品でできているものは、分解することができ、再び組み立てることができます。また、壊れた部品は新しいものに…

恵みは人間を非自然化しない

「私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」テモテ第二 4:7 パウロは今、ルカが使徒の働きの最後で描写した自宅軟禁の比較的自由と快適さをもはや享受していません。この手紙の中で彼は二度鎖に言及しており、一度は自分自身…

祈り=イエスの霊と共に呼吸すること

霊的な生活を送っていると、私たちの小さなおびえた心は、宇宙の広がりと同じくらいに拡げられます。なぜなら、私たちの内に宿っているイエスの霊が、すべての被造物を抱いているからですイエスはみ言葉です。み言葉によって天地万物は造られました。「天に…

誘惑と罪の本質

誘惑はいつでも何かそれ自体としては良きもの、価値の高いものから生じます。忘れてはならないのは、人は神の御心の中心に留まることが可能であるし、激しい誘惑といえども耐え忍ぶことができる存在だということです。アダムもエバもあるべき場所にあるべき…

大洋の深淵の面に波と泡とが立つがごとき

今世はまことに夢の世であります。しかし夢は実体の影であります。しかしてわれらは今世において永遠の来世の射影図を見るのであります。あたかも大洋の深淵の面(おもて)に波と泡とが立つがごときものであります。しかして薄き幕一枚が今世を来世よりわかつ…

人間、身代金、仲介者

キリストの死はすべての人に関係します。「神と人との仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自分を与えてくださいました。」(Ⅰテモテ2:5-6)。神は唯一であると断言するだけでは十分で…

ただイエスを仰ぎみるべし

われら救われるために何をなすべきかと問うに、ただイエスを仰ぎみんのみと答うるまでである。祈禱が聴かるるも聴かれざるも、災禍(わざわい)が臨みも臨まざるも、罪が潔めらるるも潔められざるも、ただイエスを仰ぎみるべきである。クリスチャンの信仰は…

神様は個別対応

パウロは、 ローマにいるクリスチャンたちに手紙を書きますが、 その最後に自分が知っている人全ての名前を挙げて、 一人一人に挨拶の言葉を贈ります。 神様は十把一絡げではないからです。神様は、 私たち一人一人の名前を呼び、 招き、 一人一人に個別に対…

自分の外におられる方のために

主よ、わたしは知っています、人の道は自身によるのではなく、歩む人が、その歩みを自分で決めることのできないことを。(エレミヤ一〇・23) 預言者エレミヤはエレミヤ書一〇章の締めくくりの部分で、人間について一つの結論にたどり着きます。値千金のこの…

神はあなたの代わりはしない

主イエスを本当に知るにはどうしたらいいのでしょうか。それには人生のあらゆる領域で一生懸命に生きること、逃げ出したくなるような厳しい労苦をも厭わないことが求められます。キリストを知るのに魔法は使えません。近道もありません。クリスチャンは主が…

最も大切な損得勘定

しかし私は、自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。私はキリストのゆえにすべて…

神は全人格が愛で、それが三位一体の関係に宿っている

三位一体の神が異なった人格でありながら相互に完全な信頼関係にあることを、うまく説明できないのを歯がゆく思います。しかし私はこう考えています。御父、御子、御霊の間にある愛は互いの存在を喜び、互いの中に自らの存在の実現を見出すような愛です。こ…

指導者たちに寄り添う必要

貧困や苦しみ、痛みは何よりもまず、そして例外なく教会の底辺に起こることと考えがちです。私たちの指導者のことを貧しいと考えることはめったにないでしよう。けれども教会の頂点には、大きな貧困、深い孤独、つらい孤立感、切実な抑鬱よくうつ状態、たく…

喜びは痛みの中に隠されている

自分が貧しいことをはっきりと言葉にして言い表し、それを通して、自分の貧しさを兄弟姉妹の貧しさと結び合わせる時、私たちは貧しい人々の教会となります。それはイエスの教会です。連帯は、貧しい人々の教会にとって欠くことのできないものです。痛みも喜…

闇、光、伝道

「闇から光を輝かせなさい」と言われた神は、私たちの心の中でその光を輝かせ、キリストの顔に示された神の栄光の知識の光を私たちに与えてくださいました。 Ⅱコリント 4:6 第二コリント 3 - 4 章は、牧会の奉仕に関する古典的な聖句です。その中でパウロは…

倒れたものが命を吹き返す時

2018年10月初旬の台風25号の暴風で、私の家のバラのアーチが倒れ、バラの木も一緒に倒れました。根は切れ、地表に出ていました。 アーチを立て直し、根を土の中に戻し、バラの蔓は短く切り戻しましたが、根がかなりダメージを受けていたので、駄目かもしれな…