主イエスが私たちにお命じになったことは、互いを自分自身のように愛するということでした。誰か一人でも良い。 そのように愛し合う友が与えられることは、神様が私たちに与えてくださる祝福です。
しかし、 その祝福には、 一緒にいることを喜び楽しむということだけではなく、 その人の痛みを自分の痛みとして受け取ることも含まれるのです。
友が弱っていると聞く、 そうすると自分自身も弱ってしまうほど心が痛む。友が信仰が分からなくなったと聞く、 そうすると気が狂うほどに激しく心がわななく。
このようなことで自分が疲れきってしまうことは賢い生き方ではないかもしれません。
しかし、愛は、共に弱くなるのです。共に弱くなるから、共に強くなれる。共に泣くから、共に笑うことができるのです。
(366日元気が出る聖書のことば 岩本遠億)