Balten Seijin の今日のひとこと

いくつかの霊想書の中からその日のお気に入りを載せます

喜びは痛みの中に隠されている

 自分が貧しいことをはっきりと言葉にして言い表し、それを通して、自分の貧しさを兄弟姉妹の貧しさと結び合わせる時、私たちは貧しい人々の教会となります。それはイエスの教会です。連帯は、貧しい人々の教会にとって欠くことのできないものです。痛みも喜びも、共に分かち合われなければなりません。 一つの体として、私たちは互いの喜びの瞬間ばかりでなく、互いの深い苦しみや、痛みも味わいます。パウロが言うように、「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分か尊ばれれば、すべての部分か共に喜ぶのです」(Ⅰコリント12:26)。
 体の一部にはなりたくないと思うことがしばしばあるかもしれません。というのも、体の一部となると、 同じ体に属する他の人々の痛みを激しく感じるようになるからです。他の人々を深く愛するとそのつど、私たちはその人々の痛みを深く感じます。けれども、喜びは痛みの中に隠されています。痛みを分かち合う時、私たちは喜びも共に分かち合うことでしょう。

 

(今日のパン、明日の糧、ヘンリ・ナウエン)