Balten Seijin の今日のひとこと

いくつかの霊想書の中からその日のお気に入りを載せます

2023-06-01から1ヶ月間の記事一覧

油注ぎ

けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。(ヨハネ一六・13) 聖霊はご自身のことを語りません。キリストご自…

まったき愛は恐怖を除く

愛、愛、われらのねがい求むべきものはこれである。 権能(ちから)はいらない、あってはなはだ危険である。知恵はいらない、あってはかえってわれらを迷わす。いるものは愛である。敵をたおすための権能ではない。われを倒さんとするわが敵を愛する愛である。…

将来を計る測り

万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。(ゼカリヤ四・6) 将来どれだけのことが実現可能かを量る秤は自分の失敗や限界の中にはありません。イエスは私たちの失敗を赦し、ご自身の生涯の鍵であった聖霊を私た…

主は覚えていてくださる

神について驚くべきことは、人が悔い改めさえするならば第二のチャンス、いや三度でも四度でも、立ち返るチャンスを与えてくださるということです。神はイスラエルの民に預言者を送り、なすべきことを教えられました。神の民が「希望はない。神は私たちを見…

勇気ある人生

「勇気を出して」と私たちはお互いによく言い合います。勇気は、霊的な徳です。勇気を意味する英語courageは、ラテン語のcor(心)から来ています。勇気ある行動は心からの行動です。勇気ある言葉は心から湧き起こっている言葉です。しかし、心は感情の宿る…

一人一人の愛の戦い

もし、 主イエスが弟子たちに自分と一緒に死ぬことをお求めになり、 一緒に死ぬことが新しいイスラエルの未来を開くことになると教えておられたなら、ペテロをはじめとする弟子たちは剣をもって戦い、最後には全員主イエスと共に殺されたであろう。 革命的、…

間違った期待

イエスを拒んだ人々が期待していたのは、自己犠牲の愛よりもしるしや奇蹟です。謙遜さではなくショーを見たかったのです。ホーリネスではなく目に見えるパフォーマンスを求めたのです。ローマ軍と戦って彼らを打ち負かしてほしかったのです。しかしイエスは…

主は災いさえも

わたしは知ります、あなたはすべての事をなすことができ、またいかなるおぼしめしでも、あなたにできないことはないことを。(ヨブ四二・2) もし神が統治しておられることを本気で信じるならあなたの人生は全く変わります。救世軍の司令官サムエル・ブレン…

他人を裁く人は……

The reason we see hypocrisy, deceit, and a lack of genuineness in others is that they are all in our own hearts. The greatest characteristic of a saint is humility, as evidenced by being able to say honestly and humbly, “Yes, all those, as…

語る真実に向かって成長する

語っていることをあますところなく実践する時にのみ、私たちは語ることができるのでしようか語る言葉と行動が全く合致していなければならないとしたら、私たちは永久に沈黙していなくてはならないでしよう! 時に私たちはまだ十分には神の愛のうちに生きるこ…

多くの祈りは不信仰から

There is a great deal of prayer that comes from actual disbelief in the atonement. Jesus is not just beginning to save us—He has already saved us completely. It is an accomplished fact, and it is an insult to Him for us to ask Him to do wh…

聖霊の実に語らせなさい

神の霊は、私たちを通してどのようにご自身を現されるのでしようか。証しをするとは、神を擁護するために人前で声を大にして話すことのように考えがちです。このように考えると、私たちは人目を気にして神経質になってしまいます。どこでどうやったら神を話…

イエスから目を離さない

風は実際に荒れ狂い、波は実際に高かった。しかし、ペテロには、最初、それらが目に入らなかった。ただ主のお姿だけを見つめ、それを見失わないようにして舟から足を踏み出し、水の上を歩いたのであった。ところが、周辺の様子を計算に入れた途端、あっとい…

魂は父母が生むことのできないもの

余は神はあると信ずる。そのもっともたしかなる証拠は、余自信が存在することである。余は余の父母をとおし世に生まれ来たった者であるが、しかし余には余の父母が生むことのできないものがある。すなわち余には余の霊魂がある。すなはち独(ひと)り断じて…

真理とは単純に父のみこころです

イエスは真理について多くを語られました。ヨハネの福音書には「真理」という言葉が何度も出てきます。イエスは真理について語られるとき、ご自身の人格と密接に関わらせて話されます。真理とは単独に命題として存在するわけではないのです。…究極手金はご自…

愛は気持ちではない

私たちは、愛はあたかも気持ちの問題であるかのように話しがちです。しかし、愛する前に愛の気持ちが起こるのを待っているなら、真に愛することは学べないでしょう。愛も気持ちは美しいもの、いのちを与えるものですが、愛はそのような気持ちに根ざしたもの…

ロウソクの火は、闇を消すことはないが、闇の中を導く

微笑み、握手、励ましの言葉、電話をかける、カードを送る、抱きしめる、心のこもった挨拶、助ける素振り、ちょっとした気遣い、手助け、贈り物、財政的な援助、訪問、ーーこれらのことはみな、愛に向かう小さな一歩です。 それぞれの一歩は、夜の闇の中に燃…

信じるとは? 

「信じる」と一言に言いますが、その内容や実態は、信じる者と信じられる者との関係性によって大きく変わります。 親が子供を信じるという時、それは、子供が将来成功 すると自分に言い聞かせることや、子供が悪いことをしていないと自分に言い聞かせること…

神が詳細を示されないワケ

クリスチャンは神はご自分に属する者を導いてくださるということを前提にして生きています。実際、神のリーダーシップを期待するのは神の子どもたちの権利です。しかし神は備えられたご計画を前もって詳細にすべて知らせた上で導くということをなさいません…

一泊ではなく永遠に

Where our self-interest sleeps and the real interest is awakened. “They . . . remained with Him that day.” That is about all some of us ever do. We stay with Him a short time, only to wake up to our own realities of life.Our self-interest …

神をアッバと呼ぶ力を与えられる

神を「アッバ、父よ」と呼ぶことは、神に呼びやすい名前をつけることとは違います。神を「アッバ」と呼ぶことは、イエスと同じ神との交わりへ入ることです。この交わりは親密で、恐れを知らず、深い信頼に根ざし、私たちを力づけます。この関わりは聖霊と呼…

存在する力を与えられる

私たちは何者なのでしょう。私のしていることが私? 人々が私について言っていることが私? 私の持っている力が私? 社会ではしばしばそのように考えられているようです。しかし、私たちの持っているイエスの霊によって、霊的な次元における私たちの本当のア…

私の時はあなたの御手の中に

私たちは、人生の苦難の中で物事が自分の願うように動かず圧迫感と孤独感にさいなまれることがあります。また逆に好機と思える時、心の平静を失い、急いで失敗をすることもあります。 いずれの場合にも、神が全てのことを働かせて最善をなさるのに「時」があ…

神の御心に従うことは、自分の思いで犠牲を払うことに勝る

The counterfeit of obedience is a state of mind in which you create your own opportunities to sacrifice yourself, and your zeal and enthusiasm are mistaken for discernment. It is easier to sacrifice yourself than to fulfill your spiritual …

信仰によって清められる

人は生まれ変わると、キリストの臨在を感じ、キリストと共に歩み始めます。しかし主との交わりが深まるほど、私たち自身の内なる罪がどれほど根深いものであるかを認識するようになります。罪の赦しと心の奥底のきよめとは別問題です。キリストの血潮には、…

幸いの源

人は、神様と自分との間に、自分の行為を置こうとする傾向がある。「良い行いをした。」「人に親切にした。」「悪い行いから遠ざかった。」だから、神様は私に幸いをくださるだろうと。 しかし、その思いが神様と私を遠ざけている。私の目は、神様ではなく、…

キリストだけを持っている豊かさ

キリストが私たちになしてくださり、また与えてくださるどんなものよりも、キリストご自身の方がはるかに優っているのです。チャールズ・ウェスレーはキリストだけで充分だと言っています。ですから私たちはキリスト以外には何も必要ありません。神のみなら…

私たちキリスト者はキリストの第二の受肉

信じる者であるとは、キリストを身にまとっているということです。「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。」(ガラテヤ3:27)また、「主イエス・キリストを身にまといなさい」(ローマ13:14)とパウロは言っています…

人を生かす言葉

人は、言葉によって生き、言葉によって倒れる。 イエス・キリストは、「人は、パンのみによて生くるにあらず、神の口より出ずる全ての言葉によって生く」という聖書の言葉によって悪魔の試みを退けられた。 神は、私たち人間を、神の言葉を聞くもの、神の言…

本当に望んでいるか?

「イエスご自身がご存じだったことを知ることはできないし、イエスがなさったことをすることもできない」と私たちは言います。しかし、イエスはご自身と私たちの間に、決して隔たりを置かれていません。(中略)そうです、イエスが知っておられたことを知り…