Balten Seijin の今日のひとこと

いくつかの霊想書の中からその日のお気に入りを載せます

2023-10-01から1ヶ月間の記事一覧

教会の神秘

体の最も大事な部分は、リードし制御する頭や手ではありません。最も重要な部分は他よりも見栄えが悪いと思われる部分です。それが教会の神秘です。教会の中心を形作るのは、私たちの内で最も弱い人々、老人、幼子、障害を持った人、心の病を患う人、飢えて…

弱さを通して表される力

私たちはこの宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるてめです。(コリント人への手紙第二 4:7) コリント人への手紙の最も重要なテーマの 1 つは、弱さを通しての力で…

思わぬ霊的指導者

キリストの体である教会にはいろいろな顔があります。祈り、礼拝をささげる教会。教えと癒しの言葉を語る教会。私たちを罪から清め、主の食卓へ招き、愛の契約によって私たちを一つに結び、宣教の働きへ送り出す教会。私たちが病気にかかった時や死に臨む時…

教会を赦す

人々か教会に傷つけられた時に起こる誘惑は、教会を拒絶しようとすることです。けれども教会を拒否するなら、生きておられるキリストと繋がって生きることは非常に難しくなります 「イエスは好きだけど、教会は嫌い」と言う時、私たちは教会ばかりかイエスを…

神が神であられるだけで

罪の究極的な定義は自己中心です。キリストの十字架はすべての人を自己中心性から解放する力を秘めています。ルイ十四世の宮廷に仕えた一人のフランス人カトリック司祭がある日こう言ったそうです。「ああ、神よ。あなたが神であられるというだけで自分の全…

失われた時の回復

先日、 引き出しの中からソーラー電波時計が「発見」されました。光の全く当たらない暗闇の中に放置され、全く動かなくなっていました。 しかし、 光の下に置くと、 動き出します。 しかも、 すぐに電波をキャッチし、 正しい時間を指し示します。太陽の光に…

神の義と愛の逢えるところ=十字架

しかし、私はパウロが神の正義と愛の実証について書いていることに集中したいと思います。使徒は、過去と現在、以前に犯した罪(神が寛容で罰せられなかった)と、神がご自身の正義を示すために行動した現在との間で、意図的な対比を描いています。それは、…

すべてのNoをYestとするイエスの力

信仰によって歩むとは、変わりゆく全てのものの背後におられる、決して変わることのない方を知り、この方と共に生きることです。 パウロは、 この方には、 Yesだけがあるのであって、 Noはないのだと生ロ白しました。イエス・キリストには、Yesだけがあるか…

聖書≠神、聖書=神の言葉とわかるためには、、、

聖書は神のことを書いた書でありますから、もちろん神以下のものを標準として読むことはできません。しかし神について書いたものでありますから、神そのものではございません。それゆえに聖書をほんとうに読もうと思えば、われわれは直接神の感化を受けねば…

信ずるとは?の中身が凄すぎる

何世紀にもわたって教会がしてきたことは、批判的な人であれば誰でも教会を去ろうと思わせるに十分でした。暴力をほしいままにした十字軍、ユダヤ人虐殺、 権力闘争、 抑圧、 破門、 処刑、 人々や思想をあやつり、 分裂を絶えす繰り返してきた歴史であり、 …

お褒めの言葉以上の言葉

イエス・キリストの先駆けとして神に遣わされた洗礼者ヨハネは、領主ヘロデ・アンティバスの姦淫の罪を糾弾して黙らなかったため捕らえられ、牢獄に人れられました。 そこから弟子たちをイエスのもとに遣わし、 イエスとの最後のコミュニケーションを図りま…

真実と人気は両立する?

しかし、彼の十字架の説教は、後にパウロがコリント人への手紙第一で詳述したように、人間の誇りのつまずきとなるものです。実際、私たちはそれに貢献することさえできません。救いは全く神の賜物で、人が貢献できるところはありません。ウィリアム・テンプ…

教会の二面性

教会は聖であると同時に罪深く、しみ一つないのと同時に汚れています。教会はキリストの花嫁です。キリストは教会を清めの水で洗い、「しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない」 (エフェソ5:4)ものとしてご自身のもとに迎え入れたの…

教会=支え合う集団

教会神の民です。「教会」 にあたるラテン語“ecclesia"は、ギリシア語の=ek(〜から、〜の)とkaleo(呼ぶ)からきています。奴隷状態から自由へ、罪から救いへ、絶望から希望へ、闇から光へ、死を中心とした存在から生に集中とした存在へと呼び出された神の民、…

あなたのからし種一粒ほどの信仰があなたを救った

イエス様は、病気に苦しむ人、罪に泣き、社会から疎外されていた人がご自分に近づいて来たときに、彼らを癒し、救い、そして言われました。「あなたの信仰があなたを救ったのです」 と。 救われた人たちの中には、自分の中に確かな立派な信仰があると思って…

神様は神様の方法で道を開かれる

私たちの中には、自分の欲する人生の道を歩いてきたと思う人も、自分の望まなかった道を歩かなければならなかったと思う人もいると思います。 私たちは得意になったり、ため息をついたりします。 しかし、聖書は、私たちが高慢になることも、自己憐憫に陥る…

神秘と現実が同じ?

聖餐の食卓を囲み、共に「いのちのパン」を食べ「救いの杯」から飲んでイエスの死と復活を自分のものとする時、私たちは共にキリストの生きている体となります。 聖餐は、私たちが一つの体となるサクラメント(秘跡)です。 一つの体となるということは、チー…

平凡の中にこそ真価

「エノクは神とともに歩んだ。」創世記 5:24 人の霊的生活と人格の真の試金石は、人生の特別な瞬間に何をするかではなく、何も驚くべきことや刺激的なことが起こっていない平常時に何をするかである。人の価値は、注目を浴びていないときの人生の平凡な事柄…

静寂の中でささやかれる神

一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ、いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。神がその中におられるので、都はゆるがない。神は朝はやく、これを助けられる。(詩篇46:4-5) すなわち知る、神は大風を使いたもうも、大風の如きものにあらぎることを。裂き…

勉強ではなく従順

神の真実を知る唯一の方法は、知ろうとするのをやめて新しく生まれ変わることです。神が最初に示してくださったことに従うなら、神は即座に次の真理をあなたに明らかにしてくださいます。合計 5 分間、妥協のない従順を続ければ、物事が太陽の光のようにクリ…

自分の何かに基づく信仰は非聖書的で、迷惑

私たちが最も必要としているのは、何かをを行うことではなく、信じることです。キリストの贖いは経験ではなく、神がキリストを通して行ってくださった偉大な神の業であり、私はそれに基づいて信仰を築かなければなりません。もし私が自分の経験に基づいて信…

信仰義認は旧約聖書をも貫いている

神に逆らう人には悩みが多く、主に信頼する人は主の不変の愛がその人を取り囲む。(詩篇三二・10 NIV) 悪の反対は何だと思いますか。私はつい最近まで、悪の反対は正義だと思っていました。しかしこの詩篇三二篇によると、悪の対極にあるのは信頼です。…

内に生きてくださるキリストは間にも生きておられる

聖餐は、イエスが私たちにとって一番身近な方となって共にいてくださる場です。というのも、イエスが私たちの 「内」にキリストとなって生きておられるばかりか、キリストとして私たちの「間にも」生きておられるからです。エマオで、 パンを割いた時にイエ…

歴史上のキリストと今、内に生きるキリスト

聖餐の食卓を囲み、「これはキリストの体、キリストの血」と言って一つのパンから食べ、 一つの杯から飲む時、私たちは今ここにおいて生きているキリストとなります イエスを信じるとは、神のみ子イエスが昔生きておられ、偉大な奇蹟を行い、すばらしい教え…

見えなくなるとは内に住まわれること

エマオの弟子たちの家でパンを割かれた時に、二人の弟子たちはそれがイエスだと分かりました。その時、イエスの「姿は見えなく」(ルカ24:31)なりました。イエスだと分かることと、イエスの姿が見えなくなるというこの二つのことは、実は同じ一つの出来事です…

われならざる衷(うち)より来る助け

わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る。主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。(詩篇121:1-3) われ時にわが眼を挙(あ)げて援助(たすけ…

最も日常的なことが最も神秘的

エマオへの途上でイエスが一緒に歩かれた二人の弟子たちは、イエスがパンを割かれた時イエスであることに気づきました。パンを割くということ以上に、 一般的で日常的な仕種が何かあるでしようか それは、あらゆる人間の仕種の中で、最も人間的なものでしよ…

最も大切な問い

人間は、自分の行動や存在の意味を問う唯一の生物だと言われます。なぜ自分は生きているのか。何のために私は、 このことをするのか。 若い頃は、 このように悩むことも多いですが、自分で働き始めたり、家族を持つようになると、毎日こなしていかなければな…