イエス・キリストの先駆けとして神に遣わされた洗礼者ヨハネは、領主ヘロデ・アンティバスの姦淫の罪を糾弾して黙らなかったため捕らえられ、牢獄に人れられました。 そこから弟子たちをイエスのもとに遣わし、 イエスとの最後のコミュニケーションを図りますが、 そこには旧約聖書を熟知し、お互いを深く信頼する者同士の真剣な以心伝心のやり取りを見ることができます。 ヨハネの弟子たちが帰っていった後で、 イエスはヨハネを次のように群衆に紹介します。
「権力者とその暴力に屈しない男」「権力も富も欲しない男」「預言者以上の者」 「女が生んだ者の中で最大の人物」 「旧約の時代を完成した者」 「預言者エリヤの働きをなす者」。
最大限の賛辞です。しかし、イエスはヨハネの弟子たちがいなくなった後でこれを語られました。何故でしょうか?それは、ご自分がヨハネを如何に評価しているかをヨハネに知られないためです。
神の僕にとって、 その存在が最も必要としているものは、神からのお褒めの言葉ではありません。労いの言葉ではありません。 どんなに疲れ、痛んでいても、「お前は、わたしの夕食の準備をして、立ってわたしに給仕せよ」との言葉なのです。 「お前は、わたしのそばにいろ。 わたしに仕えよ」という命令の言葉なのです(ルカの福音書章17:7-10参照)。
こんな私たちに 「わたしのそばにいろ。 わたしに仕えよ」 と命じてくださるお方がいる。永遠の神が私たちの存在の本質を明らかにするのです。
「あなたは、わたしのしもべ。わたしはあなたを選んで退けなかった。」(イサヤ41:9)
(366日元気が出る聖書のことば 岩本遠億)