結局のところ、大切なのはイエスとイエスの言葉を知っているかどうかではなく、イエスの霊の内に生きているかどうかです。イエスの霊は愛の霊です。 最後の審判について語られた時、イエスはご自身でこのことを明らかにされました。その場面で人々は尋ねます。 「主よ、いつわたしたらは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差しにげたでしょうか」。イエスは答えます。「わたしの……最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ 25:37,40)。
これは、私たちにとって大きな課題であり、また慰めでもあります。イエスは貧しい人、病気の人、死にかけている人、囚われている人、 一人ぼっちの人、障害を持った人、拒絶されている人の内にあって、その人々を通して私たちのところへ来られます。そこで私たちはイエスと出会い、神の家の門の扉が私たちに開かれるのです。
(今日のパン、明日の糧 ヘンリ・ナウエン)