私たちの中には、自分の欲する人生の道を歩いてきたと思う人も、自分の望まなかった道を歩かなければならなかったと思う人もいると思います。 私たちは得意になったり、ため息をついたりします。
しかし、聖書は、私たちが高慢になることも、自己憐憫に陥ることも戒めています。私たちにはこれまで歩んできた過去の道しか見えませんが、神様は永遠という時間の中で私たちの存在を見てくださっているからです。
過去の道が苦しく、また、 これから進むべき道が閉ざされていると感じることがあっても、神様の道が閉ざされているわけではありません。 「わたしが道だ」(ヨハネの福音書14:6)とおっしやった主イエスが共にいてくださるのです。
私たちの心の中に神様の道を開いてくださる主イエスは、現実の生活の中でも私たちの歩むべき道を造ってくださる。神様には神様の方法がある。絶望してはなりません。
(366日元気が出る聖書のことば 岩本遠億)