Balten Seijin の今日のひとこと

いくつかの霊想書の中からその日のお気に入りを載せます

安息日は、私たちが守る日ではなく、私たちが元気になる日

 私がキリスト教用語で違和感を覚えるものの一つに、「聖日を守る 」という言葉があります。キリスト者として日曜日の礼拝に出席することが神の栄光をこの地に表すことになる、従って、キリスト者が日曜礼拝に出席することは私がキリスト教用語で違和感を覚えるものの一つに、「聖日を守る という言葉があります。キリスト者として日曜日の礼拝に出席することが当然の義務だという意味のようです。
 しかし、そこには、人間の行為だけが語られています。神様はどこにいるのでしよう? 私はこの言葉を聞くと悲しくなります。
 主イエスは言われました。「人の子(イエス)は、安息日にも主だ 」と。
 安息日は私たちが守るために設けられたのではなく、創造主なる神が私たちを守り、命を回復させるために設けてくださった創造主の日です。

 主が、疲れの中にある私たちに命を注いでくださる。気落ちした者に希望を与えてくださる。病んだ者を癒してくださる。
 主イエスは、 このことを明らかにするために、安息日に病人を癒し続けられました。 そして、安息日を形式的に守ることを至上命令とする人々に殺されることになるのです。
 キリスト教会は、主イエスが復活なさった日曜日を聖日キリスト者安息日としてきました。
 主イエスが願っておられることは、 この日、共に集って礼拝する者たち、 また、事情で集まることができない者たちが、元気になることです。希望を回復することです。 キリストの命を受けることです。
 日曜日、主イエスを求めてイエス様のところにやって来る一人一人に、溢れる命と癒し、問題の解決が与えられますように。

 

(366日元気が出る聖書のことば 岩本遠億)