Balten Seijin の今日のひとこと

いくつかの霊想書の中からその日のお気に入りを載せます

隠された宝を見つけること

    イエス・キリストは、 神の国とは 「畑の中に隠された埋蔵金」「高価な真珠を見つけた商人」 のようなものだと言われました。 銀行などがない時代、 貯まった硬貨は壷に入れて地中に埋め、盜まれないようにしていました。古代イスラエルでは、 埋蔵金は土地の所有者のものとされたので、 小作人が耕作中に埋蔵金を見つけると、 全財産を売り払ってでも、 その土地を買わないだろうかと言うのです。また、 養殖の技術がない時代において、真珠は非常に高価なもので、 良い真珠は莫大な富をもたらしました。
    キリストは言われるのです。神の国、つまり、神による支配と言うのは、「畑の中に隠された埋蔵金」 「高価な真珠を見つけた商人」のようなものだと。
 これには、2つの意味があります。キリストを見出した人が自分の全てを投げ出してキリストについていくという意味と、私たち一人一人をご自分の宝物として見出し、それを買い取るためにご自分の全てを十字架に捧げ、血を流して贖ってくださったキリストという意味です。
 しかし、これらは別々のことではありません。キリストに出会う時に、キリストがこんな者をご自身の宝として見出してくださったことを知ります。そこに絶大な喜びがあります。しかし、その時、私たちもキリストこそ、自分にとって最も価値あるもの、絶対に失ってはならないものであることを知るのです。

 キリストが私たちのために十字架に捧げてくださった命を受けるとき、私たちも自分の命をキリストに捧げるよ一つになっていく。
 私たち一人一人がキリストの宝となり、キリストが私たち一人一人の宝となる。この両者は一つである。 ここに神の国、神の支配があるとキリストはおっしやっている。今もキリストは、私たち一人一人を求め、やって来てくださる。私たちもキリストを求めよう。

 

(366日元気の出る聖書のことば 岩本遠億)