キリストは実に人を救うためには奇跡を行いえましたが、自己(みずから)を救うためにはこれを行いえませんでした。人をたすけるための異能を備えしイエス・キリストは、自己を救うためには全然無能でありました。 弱き者を救わんがためには風をも叱陀してこれを止めたまいし彼は、 自己の敵の前に立ちては、これに抗(てむかいせん)とて小指一本さえ挙(あ)げたまいませんでした。キリストの奇跡よりもさらに数層倍ふしぎなるものは、キリストの無私の心であります。 しかしながらこのふしぎなる心があってこそ、初めてかのふしぎなる業(わぎ)が行われたのであります。
(一日一生 内村鑑三)