聖書は神のことを書いた書でありますから、もちろん神以下のものを標準として読むことはできません。しかし神について書いたものでありますから、神そのものではございません。それゆえに聖書をほんとうに読もうと思えば、われわれは直接神の感化を受けねばなりません。神は聖書よりも大なる者であります。ゆえに聖書に書いてないことをも、神はわれわれの心に告げたもうことがございます。われわれはまず直接神より聞かねばなりません。われわれの真正(まこと)の教師はイザヤやヨハネやパウロではなくして、天の神、彼ご自身であります。まず祈祷をもってただちに神に接し、 ただちに神の言辞(ことば)を心に受けませんならば、われわれは聖書はすなわち神の言(ことば)であるということがわかりません。
(一日一生 内村鑑三)