復活の時、私たちには霊の体が与えられます。私たちの自然の体はアダムから出たものであり、霊の体はキリストから来ます。キリストは第二のアダムで、私たちに滅びることのない新しい体を与えてくださいます。パウロが言うように、「私たちは、土で造られた人のかたちを持っていたように、天に属する方のかたちも持つことになるのです。」(Ⅰコリント15:49)。
私たちの霊の体は、キリストに似た体です。イエスは、死すべき体を持つものとして生きるいのちを、私たちと分かち合うために来られました。それはまた、ご自分の霊の体に私たちも共に属することができるようになるためでした。パウロは言っています。 「肉と血は神の国を受け継ぐことはでき」 (Ⅰコリント15:50)ないと。イエスは、私たちの朽ちるべきものに朽ちないものを着せ、私たちの死ぬべきものに死なないものを着せるために来られました(Ⅰコリント15:53参照)。このように、私たちの霊的ないのちが完全に明らかにされるのは、まさに体においてなのです。
(今日のパン、明日の糧、ヘンリ・ナウエン)