Balten Seijin の今日のひとこと

いくつかの霊想書の中からその日のお気に入りを載せます

手を繋いでくださる神

 私は10年ほど前、年老いて一人で歩くことが困難になった父を車に乗せ、高速道路を走りました。途中のパキングで父をトイレに連れて行ったのですが、 そこで父と40数年ぶりに手を繋いで歩きました。何とも言えない違和感がありました。
 子どもの時は父と手を繋いで歩くのが好きだったはずです。父と手を繋いで歩くことに理由は必要ありませんでした。しかし、今、父が弱ってしまって、私の手を必要としているという理由なしに、父と手を繋ぐことができなくなっているのです。
 イエス様は言われました。「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできない」 (マルコの福音書10:15)
 本来は神様と共に歩むこと、神様と手を繋いで歩くということにも理由は必要なかったはずです。ただ神様と一緒にいるのが好きだから一緒にいる、それだけだったはずです。「エノクは神と共に歩んだ」(創世記5:24)。
 しかし、大人のクリスチャンは信じるための理由を求めます。罪が赦されるために信じる、天国に行くために信じる…。イエス様との関係が手段になってしまっている。
 エス様は理由なしに愛してくださった。こんな私たちを好きで好きで仕方がないとおっしやってくださっている。私たちに向かって手を差し伸ばしてくださっています。「さあ、 手を繋いで一緒に歩いて行こう」 と。
 この方がどのようなお方であるのか、 あとで分かってくる。繋いでくださっている手が血に染まっていることに気がつく。泣きながら、 笑いながら一緒に歩いてくださるお方がいる。躓く私たちを握って離さないお方がいるのです。

 

人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜はれる。その人は倒れても、まっさかさまに倒れは
しない。主がその手を支えておられるからだ。」(詩篇37:23-24)

 

(366日元気が出る聖書のことば 岩本遠億)