パウロは、 ローマにいるクリスチャンたちに手紙を書きますが、 その最後に自分が知っている人全ての名前を挙げて、 一人一人に挨拶の言葉を贈ります。
神様は十把一絡げではないからです。神様は、 私たち一人一人の名前を呼び、 招き、 一人一人に個別に対応してくださる方です。 この方は、私たち一人一人を創造し、私たち自身よりも、私たち一人一人をよく知ってくださっ ている方だからです。
人は人を分類したがる。肌の色で、民族で、話す言葉で、そして、宗教で。キリスト教界では、人をクリスチャンか否か、洗礼を受けているか否か 、どの教派、教会かで分類しようとします。
しかし、人を分類する時、 一人一人の人格や個の尊厳が見えなくなってしまいます。時には切り捨てられる人が出てくることもあります。
しかし、神様は、人を分類なさらない。一人一人の尊さを知っておられる。喜びも悲しみも知ってくださっている。この中にある罪も知ってくださっている。そして、その贖いをしてくださった。
私たちにもお命じになっているのではないでしょうか。この人のところに行け、あの人のところに行け。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさいと。
(366日元気が出る聖書のことば 岩本遠億)