Balten Seijin の今日のひとこと

いくつかの霊想書の中からその日のお気に入りを載せます

最悪と思われる時こそ主は共におられる

 私たちは、物事が自分の思い通りに進むことを望みます。しかし、しばしば自分の意に反した苦しみの道を歩かなくてはならないことがあり、そんな時、クリスチャンは「いつか神様は最善をしてくださる」と言ったりします。
 しかし、気をつけないと、 「神の最善」という言葉が「いつか自分が良いと思うように 」という意味で使われてしまうことがあるようです。
 重要なことは、最悪と思える時さえ、私たちを離れず、支えてくださっている神を体験することです。

 私は、高校生の時、 それまで最も信頼していた人たちから否定されました。私の父と母があるキリスト教団体の中で激しく攻撃されるようになり、私もその渦中に巻き込まれたのです。私は、精神のバランスを崩し、突然酷い吃音になりました。 その後大学生になりますが、私は愛を否定し、信仰を失い、生きる意味も目標も失いました。心も体も病み、絶望しました。
   人生最悪の時だったと言えるでしよう。 しかし、私を愛して祈ってくれている人がいました。 その人の愛と祈りによって、私は神のところに戻りたいという思いを持つようになりましたが、失った信仰をどのように回復したら良いのか、分かりませんでした。
   しかし、 そんな私に聖霊を注いでくださる神がいました。 高橋恒男先生という伝道者が私の頭に手を置いて祈ってくださった時、私は圧倒的な神の御霊、聖霊を受けたのです。体も心も腹の底から湧き上がる喜びで満たされ、傷ついた心も病んだ体もその場ですっかり癒されました。気がつくと、 私を否定し傷つけた人たちに対する憤りや悲しみもすっかり心から消えてなくなっていました。「いつか最善」ではなく、「主よ、あの苦しい時も、あなたは私を離れず、支えてくださっていました。主よ、あの時も最善でした。あなたが私と共にいてくださったからです」と叫ばずにいられない神の恵みがあるのです。
 聖霊を受けた時に、人生の一コマ一コマに全く違った意味があることが分かる。神は、このような恵みを一人一人に与えたいと願っておられるのです。あなたのために祈っています。

 

(366日元気が出る聖書のことば 岩本遠億)